建築とその集合形式
経験する都市空間
 都市は建築物の集合体である。と、あたりまえのように頭の中では思っていても、実際に都市を経験する人は個々の建築の集合として都市を認識しない。私たちの都市を歩いてみても、そこには様々な幅員の道路や歩道、コインパーキングや空地、塀に囲まれて立つ一戸建ての隣に7階建てのマンションがあったり、建築と建築の間には猫しか通れない奇妙な隙間、などなど、この雑多な空間のありようから定かには都市という実態を認識することはない。
 パリのメトロから地上に出ると、そこには高さのそろった都市的立面(アーバン・ファサード)で切り取られた大きなブールバールがあり、その軸線の焦点にランドマークが置かれている。それはまるで、都市という大きなシステムの中にいるということを、絶えず市民に教育するための装置のようだ。が、私たちの都市は違う。駅の改札を出ると、蕎麦屋の暖簾が目に入り、ガードレールや電信柱、様々な看板、自販機などなど、私たちの都市の意識は微細な要素(マイクロ・エレメント)の集合の中にある。

制度がつくる風景
 日本という島国では、法的に建築はひとつの敷地の中にひとつの建築物が建てられることになっている。そして敷地周囲から道路斜線、隣地斜線、高度斜線、日影規制等々の法的制限がかけられてエンベロップが決められている。建築物の周囲に空地をつくることでこのエンベロップの形状は変化する。そして、このエンベロップのなかではどのような建築をつくってもOKということになっている。だから日本の都市空間はフリースタンディング・オブジェの集積となっている。
 こんなにゲームのように面白い法的制限をパロディーのようにして作られたのがヘルツォークの設計する表参道にあるプラダ・ビルである。都心部の重要なストリートに周囲に空地をとったフリースタンディング・オブジェのような建築というのは、西欧の都市の中心部ではあまり考えられない。日本ではこのように建築物の周囲に空地を設けた方が高い建物を建てられるのだ。
 密集市街地に建つ住宅も同様にひとつの敷地にひとつの建築物が建てられる。同様のエンベロップが掛けられているのだが、エンベロップよりも建蔽率、容積率という法的制限の方が効いてくる。どんなに小さな敷地にも同じ率の制限が掛けられているため、極小の敷地となっても極小の空地が必ず用意される。さらに民法によって建物は敷地境界線から0,5m離さなくてはならないので、建物は必ず1mの間隔を空けて建てられる。だから密集市街地では陳列ケースのなかに並ぶいろんな形のショートケーキのような様相となっている。
 私たちの都市空間には隙間の多い都市空間を誘導するような法的制限がかけられているのがわかる。この法は1950年に制定されたものであるが、木造住宅が密集する当時の劣悪な都市空間の中で通風・採光を確保すること、地震・火災などの災害に対応することを主眼としていたのではないかと思われる。が、そのため現在私たちが経験する都市空間は連続性がなく分断され雑多な様相を示している。そこには統一した美学的な意志はまったく介在していない。

粒子状の都市
 イタリアの中世都市を歩いていると連続する壁体に都市という塊体があることをリアルに感じる。が、私たちの都市では建築物が連続することはなく、敷地ごとに個々の理屈で自在に自律している。だから私たちの都市空間は塊体(マッス)ではなく粒子(グレイン)の集合体であると考えたほうがよい。この隙間の多い多孔質な都市空間のなかに身体を置いていると、その隙間から思いがけない風が流れてきたり、庭木を通して優しい陽射しが射してくる、そんな体験をすることがある。
 法的制限によって誘導された、この隙間の多い都市空間の構造は乾燥したヨーロッパの都市空間とは異なる東アジアのモンスーン気候に対応した環境対応型の都市空間が生まれていることに気付く。世田谷などの密集市街地では敷地が細分化された中でも大きな庭木が守られ、遠景すると住宅と樹木が密実に混在した不思議な風景が生まれている。
 この多様な外部空間をもつのが私たちの都市空間である。西欧における近代都市モデルとは異なる論理で都市が形作られている。そこで、西欧で開発されている都市の発達モデルとはことなる固有の都市モデルを開発する必要があると考える。西欧においては都市の実体である建築物そのものを対象とすることで都市空間は制御できると考える。しかし、この多様な外部空間をもつ私たちの都市空間を語るとき建築物という実体だけを対象としても、現実に経験する都市空間を記述することはできない。私たちの経験する都市空間は建築物ではなく建築物の周辺にある空隙なのだ。その都市空間の空隙を扱うのに、鋳型(キャスト)をとるように都市空間の中から外部空間を抜き出すと言う概念を導入してみるのはどうだろう。そこではこれまでの建築学が扱ってきたものを超える新しいデザイン領域が存在する。私たちの隙間の多い多孔質な都市を制御するのには、西欧に於ける実体としての建築や都市を扱うのではない、こんなネガティブ・デザインとでもいえる計画手法があるのかもしれない。
 ひょっとするとこの不連続な隙間だらけの都市空間こそ環境対応型の未来都市の原型になる素材かも知れない。この私たちが既に獲得してしまった都市空間を肯定し、さらに持続可能な都市へ変成させるために、実体としての建築物ではなくその鋳型のような外部空間に着目することから私たちの都市空間を定義付けることが有効ではないか。

―「設計科学としての建築・都市」日本学術会議対外報告 2005/06―


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