「新建築」2006年4月号 月評
 インド大陸にあるコルビュジエとカーンの建物をすべて見てしまおうという旅に、月評の原稿を書く時期に行っていた。インドは27年前にバックパッカーの一人旅で訪ねているのだが、そのときのコルビュジエとは大きく印象が変わっていた。同じ情報も受信者の状態によって変化する。なかでもAhmedabadの繊維業会館(Palais de l’association des filateurs)はインドの気候のせいか野放図な外部空間が楽しい。インドのコルビュジエの仕事からは作り手のアイデアが視覚から直接的に脳に打ち込まれるような快感を味わった。「国境を越えるル・コルビュジエ展」のなかでも紹介されているが、コルビュジエは建築のおかれる状況に対応して自由自在に解答を生み出している。建築の永遠のレファレンスなのだ。頭の中はインドのままで新建築3月号を読んだ。

 「身の丈に合わせる」という細田雅春のエッセイのなかで大組織事務所の仕事環境がしだいに身体性を失って行くことにふれて危惧されているが、今月号の特集「木質構造の現在」は身の丈に合ったものを作る喜びを紹介するレポートとなっている。特集のアタマに腰原幹雄の特集論文「木造の諸相、その先にある建築」という丁寧なレクチャーが設けられ、そのなかで木材の固定概念を超えて客観的に材料特性や構法を展開することが示唆されている。この特集論文につながって「新しい構法による間伐材等を活用した住宅の技術開発コンペ」が紹介される。「Japanese Wooden Domino System」という三叉柱の構造体の提案や「ラミネイトハウス」というハノーバーの環境博でズントーが見せた木の塊のような構造体の提案を興味深く読んだ。特集作品のなかでは名和研二の関わる小建築はものを作る楽しさが伝わる仕事だ。大建metとの協働である「岐阜県交響楽団練習場」はこの建物が起ち上がったときの歓声が聞こえてきそうである。

その他「ふふふ」も「ヌンチャク」も人を食った名称のプロジェクトだが、おそらくこんな愛称をつけたくなるカワイイ仕事なのだろう。山下保博の「ref-ring」も同様なのだが、大きな模型と言えるくらいの小さな建築はあらゆる部位や組み立ての段取りまでを完全に手の内にすることができる。しかもそれがローコストとなると材料の単価や職人の手まで作り手のアイデアが要求される。そこがこのような小建築に愛着の生まれる素因なのかもしれない。「次世代モクバン」の最優秀賞を受賞した藤本荘介の「final wooden house」は間伐材を使った「ラミネイトハウス」と同様なアイデアなのだが、それをさらに密度の高い木の塊として提案されている。そこでは素材としての木を身体寸法にしていることがシンプルなアイデアだがとても大切なことのように思えた。この操作によって建築や家具という機能対応装置ではない木というモノそのものに還元された空間が出現しそうである。木造での大空間の仕事も紹介されているのだが、少年の工作のような小品に目がいくのはその組み立てが直裁でわかりやすいからだ。学生のセルフビルドのプロジェクトまで扱われているのを見ると、木質構造という特集を組むことで身体性のあるカジュアルな空間を主題にしようという編集の意図があるのかもしれない。表紙にもされている三分一博志の「brood」もフリーハンドのスケッチが紹介され作り手のアイデアが直接的に伝わってくる楽しい仕事だ。  

坂本一成の「QUICO神宮前」は木質構造ではないが身体性のあるカジュアルな空間である。3月号の特集のキーノートは実はこの建築が作っている。密集市街地に建つ何でもない店舗付き住宅に見えるのだが、読み終わると都市に対する戦略として重要な建築であることがわかる。編集部のこの建物の紹介がとても上手だ。袖看板付きの電信柱、妹島さんの「hhstyle.com」の裏口、角の八百屋、そして巨大な自販機、電線の網の中に建つ情景から始まる。この建物は私たちの日常のなかにある。そして次の見開きのなかでは、それぞれの敷地のなかで勝手気ままに建てられた戸建ての建物がわずかな隙間を残しながら密集している裏原宿の遠景、その小さな隙間に庭木がところどころ残されている。私たちの目には見慣れた、しかし世界のなかではとても不思議な都市風景のなかにこの建物がスーパーインポーズされている。そこで、この建物は私たちの社会に用意された制度のなかに組み込まれてれていることが示唆される。図面や写真では伝わり難いのだが、開口部やエントランスの取り方が巧妙にできていて、内部空間にいると外部との不思議な連繋を経験する。そのために外部にある日常性はそのまま建物内部に流れ込むのだが、そこではこの都市風景と応答しながらも日常にあるモノの関係性やコードは操作され別の世界へ持ち込まれている。私たちの身近にある日常は再編集され、外にある都市風景を知覚する意識までも制御するものとなっているのだ。この建築は私たちの日常にある都市との関係性において語られるものなのである。私たちの生活世界を再構築する戦略がここにある。  


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