「新建築」2006年7月号 月評
 6月号はCOLUMNと巻頭論文がとてもヘビーだ。ともに建築教育にかかわる内容で興味深い。COLUMNでは「実験的プロセスとしての建築教育の場をつくる」と題して昨夏からAAスクールの学長に就任したブレッド・マスターの活動を通して、新しいAAスクールの胎動をディプロマ ユニットマスターである江頭愼がスケッチしてみせている。30年前に当時の学長であったアルビン・ボヤンスキーが「出版」と「エキシビション」のセットを学校の中核に置くという構造を発明し、建築教育に革命をもたらしたのだが、それによってAAスクールの建築教育におけるポジションは決定的なものになった。かつてトム・ヘネガンから「AAスクールは国際線の発着ロビーみたいな場所だ」という話しを聞いたことがあるが、今でも世界中からエキサイティングな人々が集まり去っていく。ここでは教育の場というものは滞留する場ではなく知の交易場なのだ。建築という概念が社会の変容に敏感に反応していくものであるならば、建築教育は社会のダイナミズムに連動する必然がある。

巻頭論文の「FIBER CITY 東京2050」では東京大学大野秀敏研究室がこの数年取り組んでいた、東京という都市に対する考察を「縮小する都市のためのデザイン戦略」と題してまとめている。この論文のアタマで大野は「建築家たち、そして都市計画関係者は(中略)、双方で、都市の大きなビジョンを描くことから退いている。都市空間のビジョンについて語るべき専門家の筆頭として、建築家をおいて他にいるのだろうか」と建築家に檄を飛ばしている。「FIBER CITY 東京2050」というタイトルは当然のことながら丹下健三研究室による「東京計画1960」を意識している。「東京計画1960」は「成長」が基底概念にあり「FIBER CITY 東京2050」は「縮小」という対抗概念に基づいた提案である。かつて東大の丹下研の廊下には「東京計画1960」の美しい模型が置かれていて多くの建築学生を魅了したそうであるが、大野研の「FIBER CITY 東京2050」はそのようなヒロイックな語り口はない。概念は多重で多面的であり、そこで扱われる項目の関係は構造化されない。並列されたり重層されたり、ときに関係が不明のまま置いておかれる。ヴェンチューリの「建築における多様性と対立性」によってプリンティングされた同世代としては、このプレゼンテーションは大いに共感できる。丹下が提出したビジョンは上空(神の眼)から見て美しい。そして、そのモデルは動くことを意図しているように見えるが、それは凍結されたフォルムであるほうが納まりがよい。それに対して大野の提出するビジョンは地表にある個体の関係性を扱っている。提案される形態が未完である故か、そのイメージにはもうひとつ次元が付加され、動いている動画のように感じられる。

小嶋一浩を中心とする?変容するシーラカンスというチームが提出する空間の集合形式にはいつも感心してしまう。以前、「打瀬小学校」の設計で全児童の動きをシュミレーションする動画を見せてもらったことがあるが、計画という上位から空間を決定するのではなく、空間を経験する側から空間を組み立てようとする意識がある。「千葉市立美浜打瀬小学校」で提示される空間にも、その中に偏在する意識の存在を感じるのだが、それはこのチームがヒエラルキーのないディスカッションを通して空間を生み出しているのではないかと思った。「ホーチンミン建築大学」のプロジェクトの説明に関連して「フルイド・ダイレクション」と題してその方法論が開示されているが、そこでは空間を経験する人間だけではなく風や水といった環境要素までをパラメーターとした空間の決定方法の存在を予感させている。建築・都市デザイン・インフラ・建設・インテリア・美術の6つの学部を持つという「ホーチンミン建築大学」のプログラムを読むと、日本では工学部の一部局でしかない「建築学科」の位置づけとは大きく異なる。この計画を見ていると21世紀の建築教育の主舞台は日本にはないのかもしれないと思ってしまうが、東京理科大学小嶋研究室という教育機関が参画してこの計画が進められることを祝福したい。

NEWSで紹介されている東京工業大学の坂本一成研究室の「工作連盟ジードルンク・ヴィーゼンフェルト、ミュンヘン」は敷地全体を構造化するものではない。提案されている小規模な建築群は興味深いが、内容が読み取れるほどの情報は誌面には与えられていない。主題は分散配置される小規模建築であるよりはその間に残された外部空間のようにもみえる。坂本さんが継続的に提出している空間の集合形式なのだが、これほど自由に外部が提案されたのは初めてではないかと思う。この空間が実体化されるのが楽しみである。 「リラクゼーションパーク・イン・トーレヴィエハ」の不思議なフォルムはスパイラル状のスチール丸鋼と木の梁を組み合わせた合成構造で創り出されている。大変厳しい予算の中で作られているようだが、そんなこととは無関係に結晶のように美しく湖畔に置かれている。単体としての建築は線(ファイバー)ではなく依然として点なのだ。アイコンのような建築、「白い教会」「茶室 徹」「ライカ銀座店」は都市という図学の中ではではなく、観察する人の脳のなかに介入する。  


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