世界の周縁を言語化することで,もうひとつの中心に見えてくる
メコンデルタの運河を走る船の中で、山本理顕さんが俄然元気に動き回っている。いったいどこまで続くのか、真っ直ぐな運河は幅員が30mほどもある。その大きな運河に対して細街路のような運河が内部に入り込んでいる。「これは住区のゲートじゃないか」「住区はクラスター状になっているようだ」とか言っている。ゲートとかクラスターとか空間構造を言語化する表現が突いて出てくる。同行している隈研吾さんも「住戸の分布が均一ですね」などと、山本さんの観察を補佐している。と、突然「なんだ、これはコンビニだよ」という山本さんの言葉で、運河に浮かぶ金網でくるまれたボロ小屋がコンビニに見えてくる。(10年ほど前、山本理顕さんが主宰する「都市建築研究会」という研究会でメコンデルタにあるカントーという都市を訪ねた)

1968年の闘争
 僕たちは幸せな時に建築を学んだのかもしれない。1968年にはパリの五月革命から始まる世界的な学生による革命運動が展開し、日本でも同様の学生闘争によって東大の入試が中止される。この1968年に鹿島出版から「SD」と「都市住宅」というふたつの建築関係の雑誌が創刊されている。「SD」はスペースデザインの略なのだが、建築を含むさらに拡張されたデザイン領域を扱っていた。僕はこの雑誌でネオ・ダダの運動や倉俣史朗の仕事を知った。「都市住宅」は当時都市化が進行し、都市の問題が次第に顕在化してきた日本の社会を建築家が創る住宅から論を展開しようとしていた。この雑誌はともに現在のグラフ雑誌とは違って文章量がとても多く読み応えがあった。学生闘争のためにまともな授業が大学では行われていなかったので、この時代の学生はこの「SD」と「都市住宅」を読んで建築を学んでいた。クリストファー・アレグザンダーもアーキグラムもこの雑誌がその存在を教えてくれた。そして建築というものが社会学や文化人類学、言語学や現象学とも関係していることを示していた。十分に建築という概念は拡張されていた。ルドフスキーの『建築家なしの建築』はこの雑誌の中で議論されていたし、建築を作らないデザインサーベイが建築家によって盛んに行われ、それがこの雑誌の中でレポートされていた。資本原理に回収されることが見えてきたモダニズムという概念を乗り越える新しい理念が待たれていた。そして、制度化された近代建築の枠組みを解体し再構築するために、この拡張した概念を検証する必要が要請されていた。磯崎新は美術手帖に連載する『建築の解体』でこの拡張されていく最前線をカタログブックのように開示していた。

1973年に示された世界の扉と僕たちの進む道
 そして、1973年に「SD別冊」として出版された原研究室の『住居集合論』は、この時代の感覚にきれいに回答を与えるものであった。巨大な経済のメカニズムによって世界が均質化していくように思えるなかで、圧倒的な量の世界の周縁を見ることで、もうひとつ別の選択肢が表出するのではないか、という仮設が提出されたように思えた。世界的な学生闘争とは都市化の進行によって、巨大な資本があらゆる事柄を支配していくような傾向に対して異議申し立てをしていたのかもしれない。その学生闘争さえも置き去りにして次の世界の扉を開け、僕たちに行く先を示していた。だから当時の建築学生からは圧倒的に支持されていたのではないか。学生闘争の熱気が冷めた1972年、原研究室が巡った地域は闘争する世界からは確実に周縁に位置していた。今読んでも難解な山本理顕の「領域論」は、僕は当時は理解できなかった。分からないからもう行くしかなかった、のかもしれない。原研究室のグランドツアーが終了した年から、何度かひとりで世界の周縁を旅していた。サハラ砂漠の南では名も知らぬ村にたどり着き、岩塩の置かれた倉庫のなかで寝、日中は暑くて人影のない街をさまよい、夜は寝袋のなかで遠くのコーランの声を聞いていた。ひとり旅は自己との対話の連続である。

メコンデルタでの、眼前にある空間を構造化するような山本さんの発話を聞いていて、空間構造を言語化するという行為は他者との対話のためにある、というあたりまえのことに気づいた。見えない構造は、複数の眼によって現象化される。対話によって観察した構造は社会化される。レヴィ・ストロースが言うように構造とは社会的な存在である。原研究室による集落調査は空間をモデル化し、それを記述するという方法論を提示していた。ひとり旅では得られない、この調査に参加した者だけが共有し獲得できる構造を読み取る眼があった。『住居集合論』からは、集落に現象する空間構造は悲しいほどその生活行為の位相にあることが読み取れる。

時代はさらに巨大になった資本によるグローバリズムのなかにあり、そのあまりの巨大さのために私たちにはこの世界は見えなくなっている。今では人は自分の居る環境に対する意志決定には無力であるように思える。だからこそ、自然集落のなかで人という生物が生活を構築するために、現象させた空間構造をもう一度解釈する眼が要求されているのではないか。
君はガルダイヤを見たか。


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