〈図/地〉または〈ソリッド/ヴォイド〉
コーリン・ロウは大学のスタジオで学生にひたすらソリッド/ヴォイドマップを描かせていたという伝説があるが,『コラージュ・シティ』(1978年)のなかの章「オブジェクトの危機=都市組織の苦境」で展開するソリッド/ヴォイドの議論のなかに「図となったヴォイド」という不思議な論考がある.都市組織を理解するためにはゲシュタルト心理学の〈図/地〉は必須であるが,同時にここでロウは〈ソリッド / ヴォイド〉という概念を持ち込むことでモダニズムがつくる都市の問題を解き明かそうとする.「オブジェクトの危機」では,モダニズム建築が思想の塊として構想されるために周辺環境から屹立したフリースタンディング・オブジェクトとなることを指摘し,「近代建築による都市はまったく脈絡のない単体建築の集積となる」とする.そして,その議論を止揚するように,ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン(以下,ユニテ)とヴァザーリのウフィツィを対峙させて議論が進められる.20世紀のユニテをモダニズムのつくるオブジェクト=「ソリッドの図」の到達点として評価し,それに反転する見立てとして「図となったヴォイド」として16世紀のウフィツィを提出するのだ.
ユニテは個に分解された近代社会のなかで共同体を再構築する極限のダイアグラムである.それは分解された個である家族を適切な居住単位に収容し,互いに自律させ,中廊下を介して配列する.人びとは切り分けられたまま,その共同の根拠として,屋上や中間階に共同体をサポートする施設が設けられている.このユニテという〈ソリッド〉は宇宙船のように地面から切り離され,プライベートに閉じて切り分けられた個の共同体という現代のユートピアを提示している.
それに対し,ウフィツィの〈ヴォイド〉は集合的な構造体であり,外部空間としてさらに多くの要件を受け入れる.ウフィツィは周囲の不整形な都市組織に対応しながら,中央に設けられた整形のヴォイドが都市に接続し,貫通する通路となって開かれたパブリックを提供している.これが都市組織のなかで「図となったヴォイド」である.この〈ヴォイド〉は都市と接続しているが,〈ソリッド〉のウフィツィとは並置されているだけで交通はない.
パッサージュあるいは両側町
ヴァルター・ベンヤミンの『パッサージュ論』(1923-1940年)は19世紀の過去のパリをまるごと再構成したような論考集なのだが,そのなかに「フーリエあるいはパッサージュ」というこれも不思議な小論がある.パッサージュとは,もともとは商店の並ぶ路地に鉄骨の骨組みを架けてガラス屋根とした半戸外空間なのだが,パブリックな道路でもなくプライベートな室内でもない両義的な空間である.両側に商店という浸透性のある空間で挟まれたパッサージュは,人びとが交流する魅力的な都市の空間装置である.ベンヤミンは人びとが多重に共有するこの空間を「フーリエ主義(ユートピア共同体)の最深部に与えられた推進力」として,「協働生活体(ファランステール)はパッサージュからできた都市である」とする.商店には通りから人を招き入れるための設えがあるので,その空間はプライベートでもなくパブリックでもなく両義的である.商店に挟まれたパッサージュは重層する両義性により人びとを包摂するコモンズとして安定した空間をつくる.
ところで,明治維新以前の京都にも商店で挟まれた両側町というコモンズが存在した.商店で挟まれた道は両端に木戸があって夜間は閉じられる.この木戸の存在によってこの道はパブリックではなく道を挟む人びとの自治空間だったことが分かる.明治5(1872)年に木戸の廃止とそれに伴って,番小屋,地蔵堂,ゴミ捨て場という共同体装置が取り払われる.近代はコモンズであった道をパブリックに変換するという切断をおこなうのだ.
アナザー・ユートピアとしてのヴォイドインフラ
現代都市がつくり出した問題の諸相は複雑に重なって存在するが,生活の側から見ると「日常生活批判」(アンリ・ルフェーブル)に要約される.抵抗しがたい近代という制度のなかで人びとは関係性を切り刻まれ,生活の場と働く場の往復運動という抑圧された日常を生きている.それを救い出す空間装置として,働く場と生活の場が混在するまちづくりや,人びとの出会いをサポートするオープンスペースの配置などの都市のデザインがある.それは槇文彦が示す「アナザー・ユートピア」なのだが,その気付きは半世紀以上前に提示されたグループ・フォーム(群造形)の実践である.
コロナ禍のとき,テレワークが推奨され,近隣の地域社会での生活が活性化した.生活買い回りに近くの商店街が見直され活気づいていた.東京には1771の商店街があるが,その空き店舗に公的な生活サポート施設やコワーキングを設け,さらに,商店街の道に木戸(車止め)を設ければコモンズが再生する.そんな共同体再生プロジェクトを大学の研究室で検討していた(東京区部の商店街紐マップ/法政大学大学院都市デザインスタジオ).それとまったく同じコンセプトがパリの街路で提案されていた「15-minuite city」である.
誰でもが自由にアクセスできるオープンスペースは,人びとを関係付ける接着剤のような都市装置になるのだが,アナザー・ユートピアのコンセプトは未来の都市をつくる槇の遺言のようである.浸透性のあるスキンでつくられた「図としてのヴォイド」は,重層した両義的空間in-betweenとして共同体を駆動する.そんな社会装置を私たちは「ヴォイドインフラ」と名付ける.(北山 恒)
新建築2024年8月号に寄稿
神宮前のヴォイドインフラ