KARASUMA-OIKE PROJECT
烏丸御池プロジェクトは、北山 恒と関 康子による東京と京都の2拠点計画のための住宅建設であり、
AWNのプロジェクトとして2022年9月竣工を目指して進められている。その経過を何度かでレポートしたい。
初回は、烏丸御池プロジェクトに至るプロセスをお話したいと思う。
なぜ、京都?
数年で風景がすっかり変わってしまう東京。そんな街に暮らしていると、いつも早歩きを強要されてるような、日常がうわ滑っているような、そんな気持ちになる。ちょっと生活を変えてみたいなと思っていたところ、幸い、仕事部屋に使っていた都心のマンションが売れたのだ。その資金を生活のリセットに活かそう、首都直下型地震や自然災害の危険がある東京以外にもうひとつ拠点を持つとしたらどこがよいか? すぐに浮かんだのが京都だった。
東京/京都=東/京/都、TOKYO/KYOTO=TO/KYO/TO、現代の都と古が続く都、東の都と西の都……東京と京都は、まさに時間と空間を行き来できる2つの街ではないか。
ロケーションと京町屋
まず、京都のどこに「点」を打つか、せっかく古の街に拠点をつくるなら「京町屋」のリノベーションしかない。場所と京町屋に照準を当て物件を探し始める。
「場所は鴨川まで徒歩圏内、できれば中京区・御所南と言われるエリア、適当な京町屋、予算は●×▽くらい」と、私たちのイメージを京都在住の友人に言ったら一笑に付されてしまった。その笑いの意味は?
仲條正義さんのポスターと展覧会
なぜ、烏丸御池?
とは言え、2021年6月、物件探しは始まった。1回目は京町屋を改装した一棟貸しの宿に泊まり、5つの不動産屋に声をかけ20件以上を回ったが目ぼしい物件に出会えず疲労感だけが募った。第一、中京区御所南周辺は人気のエリアで京町屋という物件すらない。一笑に付された理由を痛感する。ただ、このツアーは私たちに新しい京都を発見させてくれた。今までは名所を点から点へと移動していたが、生活の場としてみると、同じ街が点から線となり面へと広がり深くなっていることを感じさせてくれたのだ。
7月、2回目の物件探しも向学のために町家を改装した一棟貸しの宿をとって10件以上巡るも、希望の物件に出会えず京都の暑さに疲労困憊。ところが移動の車窓から町並みをボーっと眺めていると、一枚のポスターが目に飛び込んできた。それはグラフィックデザイナー仲條正義さんの展覧会(ギャラリーSUGATA)の告知で、何という偶然か、直後に車も止まった。その日の最後の物件は、展覧会場の裏に位置する京町屋だったのだ。
場所は御所南の西、御所南と二条城に挟まれたエリアで、地下鉄が唯一交差する「烏丸御池駅」からも徒歩5分ほど、賀茂川までも歩いて15分ほどか。駅名の烏丸通も御池通も市中の幹線道路で立派なオフィスビルが林立し、その一角は「京都国際マンガミュージアム」だ。東京で言うと有楽町や日比谷といったオフィス街と娯楽街が入り混じったようなエリアだ。ところが大通りを一歩入ると4階建てほどの集合住宅や古くからの商家、京町屋や普通の住宅が混在している生活圏が広がっている。職住娯楽が徒歩圏内にある……それが京都の魅力の一つでもある。さて、近くには行列のできるショップや飲食店も点在しているが、河原町や祇園のように観光客でごった返してはいない。御所南の西側であり、私たちにとっては理想的なエリアである。
ところが肝心の建物はそれまでに見学したどの町家よりもボロ。屋根は落ち、建物も心なしか傾いているように見える。しかし仲條さんのポスターに導かれた烏丸御池という立地は、傾きかけたボロ京町屋という悪条件を凌駕する圧倒的な好条件だ。
ここに「烏丸御池プロジェクト」が始まった。
京都御所と二条城のある京都
築85年以上、ダブル旗竿地の奥にある京町屋
解体後の室内と建具
京町屋のリノベ
烏丸御池プロジェクトの敷地はダブル旗竿地、つまり旗竿地のさらに旗竿地という面倒な土地。だが、京都の本当の奥深さ(恐ろしさ?)を知らない東京人は「これこそ、京都らしいではないか!」と惚れた欲目の心境だ。実際、再建不可の旗竿地のため割安だし、ボロ物件なだけにデザイン力の発揮どころである。不動産屋から現状のラフ図面を入手してさっそく設計にとりかかる。同時に建物は余計なものを剥ぎ取って躯体の現状を確認し、リノベで活用できそうな建具や素材を選別する作業から開始した。
2022年2月、東京/京都2拠点計画を始動して8カ月後のある吉日、これからの工事の無事を願って、京都吉祥院天満宮の宮司さんによる安全祈願祭を行い、本格的な工事が開始された。(関 康子)