KARASUMA-OIKE PROJECT
烏丸御池プロジェクトは、北山 恒と関 康子の東京と京都の2拠点計画のための住宅建設であり、
北山 恒+AWNのプロジェクトとして進められている。
本レポートはその経緯を関 康子が「建築+アルファ?」の視点から4回シリーズでレポートする。
今回は基礎工事が終わり、本プロジェクトのテーマである「木造住宅の浮き家――町家と現代建築のブリコラージュ」
実現までのプロセスをご紹介したい。
本プロジェクトのテーマは「町家と現代建築のブリコラージュ」である。しかし、この言葉の向こう側にある景色が北山と私で一致しているとは限らない。
築100年ほどの町屋だった建物は5月中に基礎工事を、その後柱・梁の骨組み工事を順次終了し、8月上旬の現在は、壁、床、屋根、外装といった面工事が進行中である。日々、熱中症警戒アラートが発表されるなかで、作業にあたってくださっている職人の皆さんには感謝しかない。一方、工事が進み、今までは二次元図面で想像するしかなかった建物の全貌や空間の様相が、建築素人の私でも目で見、実感できる状態になってきた。
工事が順調に進行しているうれしさの反面、むむむ!?私が想像していた景色とちょっと違う!これはモダン建築ではないか!という疑惑がふつふつと沸き起こってくる。これに対して北山の回答は「建物は陶器浩一さんのアドバイスにより、『石場建て』からコンクリート基礎による耐震性能を確保するために、既存の柱の状態がかなり悪かったこともあって柱を見せる真壁構造ではなく、 構造用合板で柱を被せる構法(大壁構法)で耐震壁をつくるのが合理的と判断した」。そんな専門用語を並べられても素直に「なるほど」とは納得できない自分がいる。
大壁構法の部屋
憮然としている私に対し、北山は「日本の伝統的空間はミニマムで『建具が主役』だから、大壁でも町家の空間を生かすことはできる、大丈夫」と言う。解体時に保管してもらっている建具――雪見障子とか、いい具合に朽ちた柱とか――が加わっていけば、このモダン空間(しつこいが私にはそう見える)の様相は変わってくるのだろうか。
実際、北山は頻繁に川畑智宏さんと奥村英史さんと連絡を取り合って工事を進めている。モダニスト北山にとって、残置されていた古建具を再利用すること、日本建築の伝統的な構成要素の敷居・鴨居・長押などのチリ・見込・見附など、今まで使ったことのない建具を納めることにそれなりの苦労をしているように見受けられる。が、私の?はなかなか消えない。
もう20年以上前のことだが、仕事でサンフランシスコに数日滞在していたときに、日本の古道具を扱うアートギャラリーに遭遇した。そこは、農家の納屋に放りっぱなしなっているような板切れや木箱、竹筒や竹籠などの古材や農具などの古道具を発掘してきて、一輪挿しと組み合わせたり、花台や花器といった新たな見立てで再生し、「いにしえの日本の美意識」を売り物していた。そのわびさびがシリコンバレー界隈の人たちに大人気なのだとも聞いた。最先端のデジタルデザインを取材に行ったのに、ユニオン広場近くにひっそりとあったこのギャラリーの佇まいが一番印象に残ったのだった。
昨年秋、この京町屋の中に初めて踏み入ったとき、その薄暗い埃っぽい部屋に取り残された鍾馗さん(京都の町家の屋根にちょこんと乗っている魔よけの人形)、手の込んだ雪見障子などの建具の数々、長年家屋を支えているつぎはぎのホゾ穴が幾つもあいた間柱を見つけて、これが「多木浩二さんが言っていた『生きられた家』だ!」と、妙に感動したのだった。生まれてこのかた、いつも新築(あるいは完全にリノベされた)家で暮らしていた私にとって、この暗くて湿っぽい京町屋は何とも新鮮な場所だった。だから、この「生きられた家感」を大切にしたいのだ。
これから1カ月余りの工事は、この空間に生きられた家的要素をいかに溶かし込んでいくか、それも取ってつけたようなわざとらしさのない自然な形で……というのが目標となる。障子などの建具の再利用は設計当初から組み込まれていたが、土壁に埋まっていて取り外された間柱の古材を何とか空間の一部にとり込んでほしいと北山に提案してみた。すると「耐震性能をつくるためにホールダウン金物という部品が部屋内に3カ所出てくるので、それを隠すための付け柱として古材を再利用するのではどうか」とのことで、さっそく、川畑さんと奥村さんが9本の取り外した古材のプロフィールをつくってくれ、景色の良い古材を選んだ。これらが、北山の狙い通り、空間を変質させ、「町家と現代建築のブリコラージュ」を実現してくれるのだろうか?
川畑さんと奥村さんが作成した古材プロフィールの資料
さて、この家には南と北側に猫の額ほどの小さな庭がある。私たちにとって二つの庭がこの物件を購入する動機のひとつだった。庭は荒れ放題だったが、うっそうと生い茂った雑草の下にはかすかに石組の痕跡があり、春日と織部の二つの灯篭と銅製の水盤が埋もれていた。これらも保管していて、新たな庭に再利用したいと考えている。
庭づくりには笹原晋平さんに入っていただき、庭のデザインや植栽する木々を検討、7月中旬に広沢の池近くの植木屋さんに植物の下見に行く。大きな敷地には一見すると無造作にたくさんの植木が植えられている。紅葉、桜、松、梅、椿、竹、馬酔木、皐月、柚子……、さらに幹の太さ、丈、枝ぶり、サイズや立ち姿まで見るとどの木を選べばいいのか判断もつかないし、植物は成長するから未来の形も想像しなければならない。ここは専門家にお願いするしかない。
これから1カ月間は造園、外構、家具そして建具工事、そして9月中旬には烏丸御池プロジェクトは完成の予定である。(関)
植木屋さんでの下見、まるで林のよう