photo by DAICI ANO

Typology House in Karasumaoike

烏丸御池のタイポロジーハウス

awn / AWN 北山恒 川畑智宏

構造:陶器浩一 高橋俊哉

設備:ピロティ

照明:岡安泉

外構・造園:オイコス庭園計画研究所

施工:木々のや


 

「意思決定が外在化される」ことについて

東京

東京は2001年の都市再生特別措置法施行以来、なし崩しに進む経済活性化のための規制緩和によって、実需要があるのか不明のまま巨大再開発がいたるところで進行している。久しぶりに訪ねると街の記憶がすっかり消去され居場所がなくなる。再開発が行われた場所は、マーケティングの精度が高いのかどこでも同じ店舗が並び空間のつくりもほぼ同じのっぺりとした風景となっていく。これがレム・コールハースが名付けたジェネリックシティだ。1980年代、ブレードランナーで使われた悪意のある?東京の未来都市イメージは、それでも文化アイデンティティを背景とした都市の可能性を示していた。だが2022年、現実に展開している東京は資本活動の結果できてしまったような意思決定が外在化された都市だ。

 

自律した建築物が、規模の大小に関係なく周囲と無関係に、経済効率を狙って最大ボリュームのエンベロップ(法的可能限界)を領有してしまう都市空間である。そこは、江戸からの地形的基盤を引き継ぎながらも、震災、戦災、高度経済成長期のスクラップ&ビルドなどを経て、絶えず上書きされ更新されていく。この資本ゲームのなかで「短期的利益の最大化」というルールに支配され自動機械のように都市空間が造られている。

 

長年、東京の木密にある都市組織(アーバンファブリック)の研究を大学でやってきたが、実際に未接道宅地をシェアやコモンズに変換する事業を立ち上げようと企画しても、その未接道敷地も接道敷地との合筆を狙った投資物件となっていて思いのほか高価である。もともと木密リングと呼ばれるエリアは都心周縁の好立地であるため不動産開発のターゲットになっているのだ。

 

木密の都市組織は脆弱なので開発によって容易に壊されてしまう。その未接道の再建不可物件は震災や戦災の時につくられたバラックが出自となっているので、建て詰まった木造家屋ではあるが 類型化できる建物としてのタイポロジーは存在していない。

 

京都

ところが、同じ未接道の再建不可物件であっても、京都ではその置かれている文脈は異なる。戦災にあっていない京都は近代以前の都市構造が残っており、中心地区は歴史地区として建物高さが抑えられ、築100年を超す町家や商家が多数残されている。1950年に施行された建築基準法、都市計画法以前に存在していた建物はほとんど自動的に既存不適格の違法建築となるのだが、東京ではこのような未接道宅地をクリアランスし是正することが狙われ、京都では再建築不可である建物を維持することが認められている。

京都では1950年以前に存在していたことが認められれば京町家として承認され、行政の支援を受けることができる。さらに、商家や工房などが遍在していた既存の都市構造を追認するように、職住共存特別地区という用途混在を推奨する地区が中心地区に設けられている。京町家は通りに開いて商売ができるようにした造りとなっているので、道路との浸透性が高い。そのため街区の内側ではなく通りを挟んだ両側町というコミュニティの構造を持っている。間口が狭く平入りで、通りから奥行きが長く「通り庭」や「続き間」で「奥庭」まで繋がるトンネルのような空間が特徴である。この京町家の原型は江戸中期に形成され現在も残るタイポロジーである。

今回の対象物件は京都市内の歴史地区のほぼ中央に位置する街区のなかにあり、さらにその街区の中央奥深く、背割線に沿って置かれた築100年ほどの二重旗竿敷地の再建不可物件である。もとは街区の背割り線から通りに向かって一敷地で呉服屋の地所があって、この敷地の一番奥にその番頭が住んで地所の管理をしていたそうである。所有者が通り側を区分して売却し、その敷地をぐるっと回るような袋路が長屋のアクセスのために設けられ、この袋路に接道して長屋の奥にある旗竿の敷地が当該敷地である。連棟長屋でもないのに間口2間半、南北に細長く平入りの町屋の空間形式を持っているのは、敷地奥に押し込められた短冊状の地割なので、長屋と同じモデュールで組み立てるのが部材の汎用性などで合理的だったのだろう。使われている柱梁材などは使い回した跡があり、当時は普通の事なのかもしれないが切実に造られていることがわかる。

photo by DAICI ANO

この建物に立面はない。
新設した冠木門だけが都市に向かったファサードだが、その建具・軒瓦は隣家の写し。

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都市組織と「建築の不自由」

タイポロジーの継承を実践しようと考えていたので、内部解体の時に再利用できるものは残置した。その残置したものに導かれて空間やモノの配置が決まる。

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例えば、春日と織部の2基の灯籠、庭石が残置されていたニワは、造園家がその配置を全て決めた。春日は表ニワ、織部は裏ニワなのだそうである。その空間配置も約束事で決まる。庭石は役石といってそれぞれ役割を持っていて位置が決まる。構造躯体や残置された建具などによって設計が導かれる。そこでは意思決定が外在化している。

 

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都市内での配置は背割線に沿っているので、その背割線の両側は物干し場などがある都市の背中のようだ。その背割線を通して2階は思いの外遠望がきく。卓越風である南北の風道になっているので部屋の中に思いがけない風が流れる。南北に設けられる小さな庭は彩光通気の微気候を調整する。平入りの切妻屋根の勾配で北側の庭も思いがけず明るい。ここは都市構造に支えられた環境がある。

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モダニズムの建築はこのような関係性や約束事から解き放たれて、自律した思想の塊のような建築を求めた。コルビュジエのサヴォア邸のコンセプトを説明する俯瞰したドローイングは周辺環境から解放された歓びに溢れている。それは誰も経験したことのない実験であり、タブララサ(何も書かれていない書板)に描かれる宇宙から降りてきたような発明発見の建築なのだ。モダニズムは周辺環境という空間から自律し、過去という時間を切断して未来だけを構想する英雄的な建築なのだ。20世紀中葉、このモダニズムの運動によって都市組織(建築だけではなく社会構造も含む)が壊されることに対抗する都市理論が提出されている。学生の時に読んだ『You can’t design the ordinary』というN.J.ハブラーケンの論考に「建築家は手に触れるもの全てを黄金に変えてしまう」と書かれていた記憶がある。20世紀後半にはこの自律したフリー・スタンディング・オブジェクトは商品価値が認められ、資本に利用されていく。

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近代は不自由さから逃走して自律性を獲得したが、時間概念を喪失した。規範の縛りがある関係性のなかで思考すること、他律的であることは時間概念を再獲得する試みなのだ。意思決定が外在化されることについて考えてみよう。 

(北山 恒)

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所在地  京都府京都市

用途   専用住宅

 

敷地面積 130.82m2  

建築面積 48.10m2

延床面積 77.65m2

階数   地上2階 

構造   木造

 

竣工   2022年10月