図式としての住居

北山 恒 

言語世界からの拘束

 人の住まう場にこうでなくてはならない、といった決まりはない。また人の住まいに最良の解は存在しない。
 住宅の設計は依頼者との対話から始まる。まだこの世界に現前していない空間についての対話であるから、それは依頼者と設計者のイメージの交換である。住宅とは住まい手の私的な領域に属するもので、その人の空間に対する経験の量で情報の密度は左右される。依頼者の世界の拡がりのなかだけから建築を組み立てることは建築の可能性を狭めることになるのだが、設計者だけで一方的に空間を決定できるものではない。しかし、空間に関しての表現の手段をもっていない依頼者と空間の概念を交換するのは困難である。また、いずれにせよ依頼者と設計者の交換は空間を現す言語によって伝達されるため、空間が現前する依然に空間を語る言語によって建築は拘束されている。依頼者が自らのイメージ通りの空間が達成できたとしても、それは私たち日本人が語る言語世界で拘束された空間が現れているだけである。住居は私たちの世界に既に存在している慣習的コードとしての住居型式からの拘束と、そして私たちが使う空間を現す言葉からの二重の拘束を受けている。
 設計者は空間のイメージに関する表現方法を持っている。平面図、断面図、模型、スケッチなどであるが、平面図という設計者にとってあたりまえな図法ですら、現実に体験することはできない抽象的な概念である。C.アレクサンダーが地面にロープを張って平面図を体験しながらそれを決定するという話を読んだことがあるが、壁の立っていない平面は平面図から立ち上がった実際に体験する空間とは別のものである。単なる平面の拡がりは実体として存在する空間と比べると抜け落ちるものが多すぎるため情報の伝達としては不完全である。断面図は空間の構成に関する抽象的な概念であるから、図法と実際の空間の行き来はさらに困難である。
 イメージを伝達するためにはそのイメージがひとつのまとまりをもたなくてはならない。空間のイメージのまとまりをつける場合は部屋という単位がとられる。依頼者はイメージの伝達として必要な諸室をその拡がりと、諸室の関係性で設計者に伝える。依頼者とのイメージの交換から組み立てられる住居は諸室というイメージのまとまりが泡のように連続したものとなる。このイメージの泡も境界面は揺れ動き、ときに消滅してしまうこともあるし、また異なる泡が生起することもある。依頼者の住居にたいするイメージとは不安定で曖昧なものである。大きく揺れ動くイメージの振幅を建築という形式 に着地させるためにやむをえず固化する作業が設計者の仕事なのかもしれない。
 境界が定かではない空間のイメージに秩序を与えるのはとりあえず「人の動作手順」=機能ということになっている。この「機能」という便利な言葉のおかげで寝室の適正な広さやワードローブの大きさ、そしてキッチンのなかでスプーンをしまう引き出しの深さまで決めてしまうことができる。分節されたイメージのまとまりとして空間が組織化されているために、住居はいたるところで分節され細分化されたものとなる。
 私たちの住居はいつからかnLDKという数字とアルファベットという記号の組み合わせで語られるようになった。不動産の住宅情報も部屋数によってその商品内容を伝える。ここでの住居とは機能分類された諸室の機能的配列でしかない。この諸室の機能的配列は一般的に住宅を参照するモデルとして慣習化しているため、住居をイメージする際のコードとして用いられる。たとえば、依頼者からは竣工時に想定される家族成員の動作手順から、nLDKという諸室の機能的配列として要望が出される。
 しかし、人の生活は気ままであり想定したようには空間は使われない。家族構成や生活様態も確たるものではなく、容易に変化する。家族や生活とは脆弱な存在である。動作手順から事細かく設定した住居はいとも簡単に内容物である家族や生活と不整合をおこす。厳格に機能を措定して組み立てられた住居は時間の経過のなかでそのズレを吸収することはできなくなり破綻する。建築とは否応なく固定した空間を生み出すものである。その固定した空間は人の行為を規定する。人は気まぐれで不安定な存在である。その勝手気ままな戯れに対応するひとつのシーンとしての空間をつくることも可能である。が、その空間は時間のなかでその気ままな行為を凍結する「力」として働き、行為を拘束するというトートロジーに陥る。
 依頼者の不安定なイメージから空間を組み立てるのではなく、また諸室の機能的配列から空間を組み立てるのでもない、その両者からできるだけ遠い地点から建築を操作することはできないか。

空間の直接言語としての図式

 住宅を設計するとき、依頼者との最初のヒアリングのあと、小さなコンセプト模型から設計をスタートさせている。平図面は出さない。このコンセプト模型は空間の組成システムだけを示しているもので、依頼者の仔細な要望は捨象してしまう。平面を現すスラブは抜くことが多い。こんな小さくて不完全な模型を前にすると依頼者はそれまでの住宅観から話を組み立てることができなくなってしまう。機能的配列とは平面図に依拠するものである。スラブのないコンセプト模型からは動作手順をシュミレイトすることはできない。依頼者の空間イメージは住宅雑誌の写真のコラージュとしてつくられていることが多いのであるが、硬質なコンセプト模型はその不安定なイメージをそこに想起させることをこばんでいる。この小さな模型は言葉を介さずにダイレクトに建築に飛び込む道具である。この模型を前にすることから、依頼者と設計者は同じ俎上で建築を組み立てる作業が開始される。  当然、この小さな模型を提出する前に膨大なスタデイが行われている。最初のヒアリングからの要件、サイトから引き出される要件、そして構造システムから工法のイメージ、室内気候のコントロールなどの検討がおこなわれる。そのうえで現実の建築を成立させるのには必要であっても意図を不明にする要素は取り除いて、この空間を組成するシステムだけのアブストラクトモデルとしてある。このように機能を還元するモデルをつくることは、一度作り上げた建築を概念上廃墟にして、ふたたび機能を立ち上げる作業を行うようなものである。この作業で機能の積み上げからではなく、空間組成のシステムから建築を再構築することになる。そして、この還元作業を通すことによってこの建築のなかに図式が抽出されている。いかなる建築も平面上に図面化されて内容が伝達されるという意味ではあらゆる建築は図式化されている。しかし、動作手順から組み立てる場合では生活因習や言語世界からの拘束を受けるのに対して、空間図式から組み立てる場合はダイレクトに空間の問題として建築を扱えるのだ。(1999.01)