まず、「公空間・共空間」という特集企画なので、パブリック(公)とコモン(共)が、都市という社会空間のなかでどのように位置づけられるのか考えてみることにします。パブリックは日本語では「官」とする場合と「公」とする場合がありますが、「官」とする場合は国家の権力につながるもの、「公」とする場合は公益性や公開性を示しています。パブリックは使い方によってこのように相反する意味をもちます。コモンはコモンズとする場合は「社会的共通資本」と訳されますが、コモンは一般には「共」とか「協」とします。「共」の場合は所有に関する共有、そして「協」の場合はアクティビティに関する協働とする社会様態を示しています。この、パブリックとコモンを考える時に理解しやすい概念図があります。それは、レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』のなかで示している集落と都市のダイアグラムです。
[図1]
集落はコモンに関係し、都市はパブリックに関係します。左側はボロロ族の環状集落。これは都市ではありません。そして、右側は植民都市。【図1】実スケールを合わせると、面積比で環状集落は植民都市の1/25くらいです。環状集落は最大でも150人くらい、植民都市は2000~3000人くらいの人口規模です。集落と都市は、まず規模が異なります。そして、集落では成員全員が個体認識され、それぞれが役割分担を持つ集団です。その役割は不平等ですが、忘れ去られる人はいません。150人というコミュニティ・スケールは人間が固体認識できる最大数なのだそうです(ダンパー数)。この数を超える人口をもつ都市では個体としての個人は記名されません。見知らぬ者が集まり住む場所が都市です。植民都市のグリッドの空間は、人間の関係が平等であり、匿名的自由があることを示しています。『悲しき熱帯』に記述される16世紀後半に造られた南米の植民都市はアマゾンのジャングルのなかにあります。中央にスクエアな広場がありパブリックな機能が与えられ、教会が接続する。キリスト教という宗教が支配する都市です。【図2】
[図2]植民都市、全体図
J.ジェイコブスは、都市とは互いに見知らぬ者による交易から始まる。都市の始まりはマーケットであるとしています。都市=cityは、都市ではないcommunityの対称の位置にあります。そして、都市の成立にはmarketの存在があります。【図3】前述の植民都市も都市の中央にあるスクエアな広場は交易の場所でもあり、見知らぬ者が行き交う場所=パブリックです。環状集落は成員全員が記名され見知った者の集まりですから、集落内の空間は共有されるコモンズです。marketは交換価値に支えられているので、共有するcommonsとは対抗する概念です。環状集落の社会では空間やモノは共有されているので使用価値の支配する社会なのです。
[図3]
人類学で報告されている市場の古代遺跡がありますが、それは半径200m位の土塁で囲まれた広場跡で、千人を超える人を収容できる広さがあります。市場というものは見知らぬ者同士の交易なので、盗難や喧嘩が起きていたことが想定できます。そのため、中央にも高さ3mほどの小山があり、土塁と小山の上から市場を監視していたと考えられています。見知らぬ者の集合は、平等で自由を担保しますが、同時に監視が必要となるということです。
社会学では現代社会を4つの事象で説明します。public、private、market、commonですが、この事象は互いに緊張した関係にあります。【図4】privateは欲望の原理となり、publicはその欲望を制御する監視の役割を持たされています。都市という社会システムはpublicを要求しているといえます。そして、見知らぬ者の集合形式が都市です。都市は匿名的自由がありますが、そこでは監視が要求されます。【図5】それは物理的監視であったり、宗教という社会システムであったりします。人間の世界は、原始共同体という一体の社会組織=コモンであったのが、都市を形成するなかで公的領域と私的領域(プライベート・セクター/パブリック・セクター)という、相対する社会構造が生まれ、それが市場経済という仕組みを支える原理となっていると考えられています。
[図4]
[図5]
「現代都市とは、十九世紀第3四半期に北米大陸において産み出され、大量生産・大量消費を基調とする資本主義世界システムとともに、瞬く間に全世界に普及した都市類型である。」(『権力とヘゲモニー』吉田伸之、伊藤毅)
私たちがあたりまえのように日常生活を過ごしている、現代都市の類型は19世紀末のシカゴで初めて登場します。この都市類型は巨大な資本主義の進展のなかで登場した社会システムです。物的には鉄骨構造の実用化と電動のエレベーターという技術によって生まれたオフィスビルと言う新しい都市要素が都市の主役となります。都市の中心にオフィスビルが建ち並び、郊外は専用住宅地となります。世界中どこでも、現代都市は同じパターンを示します。現代都市はジェネリックです。シカゴ学派の都市社会学者バージェスが1925年の論文で、現代都市の要件は「完全な土地私有制度と高度に自由な市場経済活動」であると書いています。東京という都市も当然、このような現代都市としてつくられています。郊外の専用住宅地と都市中心のオフィスビル群で構成された都市です。そして、2002年の「都市再生特別法」によって建設可能になったタワーマンションという不動産商品が、まるでタケノコが生えるように都市内に急増し都市の風景を変えています。産業の構造変化によって不要になった湾岸地区の産業用地が金儲けの現場になっています。現代都市はこのように市場経済活動の結果として商品の集積としてつくられているのです。
現代都市は市場経済活動の結果として現れるもので、経済活動と言う透明な原理でつくられています。だからこそ、現代都市の主役である都市中枢のオフィスビル群も、情報技術の進展のなかで働き方が変わり、経済効率が担保されなくなれば消えてなくなるかもしれません。
地震災害が多く地盤が不安定な東京の湾岸地区でつくられているタワーマンションは、必ずしも安全が保障された建築物ではありません。建築工学的に見れば塔状比の高い不安定建築物です。さらにエレベーターやポンプ設備など機械仕掛けの設備によって支えられていますから、何か事故があった場合や経年で劣化した時は維持するのが困難になるのは自明です。また、空間構造として住戸間が互いに関係せず切り分けられた商品設計なので、近隣関係が生まれ難いものになっています。しかし、現代の不動産商品として市場から強い支持を受けています。このような市場経済を優先する「都市の論理」だけではなく、人間のコミュニティスケールを大切にした「集落の論理」を持ち込んだ新しい都市のイメージができないのか検討したいと考えています。21世紀も依然として都市は経済活動の現場ですが、その都市に重ねる、もうひとつの都市として人間の生活の側から構想する居住都市という概念が重要な意味を持ってくるのではないかと考えています。それはオフィスビルや専用住宅と言う機能が純化した都市要素ではなく、職住が近接する混在型の都市要素です。
そのような混在型の都市要素が実体化できる可能性のある地域として、経済活動の現場である都市中心部ではなく、都市中心の周縁部(トランジッション)に注目しています。【図6】都市の業務中心地区はmarketと対応しますが、周縁部は居住地区ですからcommunityに関係します。東京の木造密集市街地は、都市中心周縁部にリング状に7,700haというひとつの都市を包含する面積で存在しています。2011年のUIA大会では、TOKYO URBAN RINGと名付けて、このエリアを東京という都市の可能性であるとしてプレゼンテーションしました。【図7】表に示す要件から混在型の居住都市という概念の可能性が構想できます。
[図6]
[図7]
「延焼過程ネットワーク」(織山和久)という、都市の防災要件から木造密集地域を考察する興味深い論文があります。これは木造密集地域の延焼危険度を「見える化」しているものなのですが、建物一つ一つを特定して延焼過程を「見える化」していることが重要です。【図8】【図9】この多層評価マップは法政大学の大学院スタジオで制作したものですが、目黒区の木造密集市街地で延焼ネットワークのハブを特定し、それを除去することで火災延焼のない、面的に拡がった防災地区が生まれるというスタディです。それに加えて、未接道、空き家、などの評価項目を重ねて地域を再生する効果拠点を特定します。【図10】こうすることでタワーマンションなどの大規模開発ではない、小さな資本での街づくり有効性がみえてきます。地域のコミュニティを保全しながら、面的に災害に強い地域に変えていくことができるというアイデアです。
[図8]
[図9]
[図10]
横浜国大Y-GSAスタジオで制作した、地域を支える小さなインフラとしてCO-HOUSING UNIT計画があります。「路地核」という名前を付けましたが、共有施設をもつ小さな生活インフラのような建築です。このインフラを抱き込む共同建て替えの建築を、木造密集市街地に縫い込むという計画でした。【図11】ここでは共有する空間であるコモンズを制度として都市内に存在させる提案をしています。
そして、「祐天寺の連結住棟」というプロジェクトですが、目黒区の木造密集市街地で地域に縫い込むような建築をつくりました。分譲の集合住宅ですが住戸間のプライバシーのレベルを下げています。互いの視線が交錯するような空間構成で、人間の関係性を生むことを意図しています。【図12】ここでは地域を縫い込むようなコミュニティ・ヴォイドが設けられています。【図13】
[図11]
[図12]
[図13]
見知らぬ者の集合である都市では、パブリックの対概念として匿名的個人の自律を保証するプライベートの概念があります。パブリックとはこのプライベート・セクターの自由な振る舞いを制御する役割を持つために、都市の公共空間は人々を監視し抑圧するものとして働きます。【図14】プライベートとは他者から認識されることを奪われている状態でもあるのですが、経済活動を主とする現代都市という社会システムのなかでは、さらに人々を人びとは分断され孤立しています。
[図14]
3・11の後、著名建築家たちが仮設住宅のなかで始めた「みんなの家」という運動は、誰のものでもないが誰でも使える家という、空間を分断し所有を明らかにするのではなく、共有する空間をつくるという意識の変換を示していました。それは、これからの都市には人々をつなぐ何か、「みんなの家」のようなコモンズとしての場が必要だと気づかせてくれました。資本主義の進展のなかで排除されてきたコモンズを、生活インフラとして再び社会に登場させることはできないでしょうか。
人口減少社会をむかえ、都市部では単身世帯は3分の1を超えています。そして、全国で8軒に1軒は空き家になっています。ひとつの家族にひとつの住宅を用意するという制度が不全になっています。家族の形態が変わっているのですが、国家が用意する社会制度、そしてそれを外形化する住宅という不動産商品を供給するハウスメーカーは、今のところ新しい社会を構想するという態度は示していません。しかし、このような小さな戸建て住宅がぎっしり建て詰まった木造密集市街地こそ、新しい近隣という社会構造を持つ共有空間の概念が創造できると考えています。
東京の都心周縁部にある木造密集市街地を再編し、新しい都市要素(グレイン)となる居住単位を開発する研究をしています。それは、家族よりは大きいコミュニティ・スケールを持った中間集団を支える建築です。家族ではないがライフスタイルを共感できるメンバーシップで運営する新しい共同の場です。集合住居のようですが、仕事場で使っても良いし、賃貸や民泊に使っても良い、混在する機能に対応する居住単位となる建築タイポロジーの開発です。それは、共有空間を豊かにもち、地表階には小さな公共的施設を設けた地域や生活を支えるインフラのような建築です。
そしてもうひとつ、木造密集市街地にある未接道宅地や空き家空き地を積極的にコミュニティ・ヴォイドとして整備することを提案しています。防災上有効な防火水槽や井戸を設け自助的に初期消火ができる設備を設けたり、延焼を防ぐ樹木を植えたりした共有空地とすること、そしてこの空地に接続して「みんなの家」のような共有施設を設けるというものです。それにはプライベート・セクターのクライアントではなく、コモンズや新しいパブリック・セクターのクライアントの登場が要求されていると考えています。
東京の建物の寿命は30年ほどです。人間の生命スパンくらいで都市の部品である建築が更新されている不思議な都市です。この東京という都市のなかで、誰もが望む新しい建築タイポロジーを発明することができれば、小さな資本の自発的な建物の更新で一気に新しい都市の姿を見せるかもしれません。その時は強大な権力がつくるのではない、民主的な都市の風景が歴史上初めて現れるのかもしれません。